FC2ブログ

記事一覧

移住、そして初めての農協との関わり

2008年に長野県主催で1年かけて開催された全6回の農業セミナーを受講し、2009年夏に日本有数のぶどう産地である長野県北部に新規就農希望者として移住することを決断した。
長野県は、県民の皆さまは謙遜して否定されるが、「教育県」として全国的に認知されていることは、子育てをする上でとても重要な判断材料だった。
そして、家族全員で熱心にスキーに取り組むようになっていたが、著名なスキー場がそこかしこにあることも決断の一因となった。
また、あまりよく知られていないが、長野県は温泉の数が全国2位の県であり、温泉好きの筆者にとっては、これも大きなサポート要因であった。

さて、就農しプロの農家として生きていくためには、農業のノウハウを習得しなければならない。
そのパターンはいくつかある。
  ① 農業法人に就職し、農業のノウハウを習得するパターン
  ② 新規就農里親制度を活用し、既存の農家から農業のノウハウを習得するパターン
  ③ 農業大学校などの農業の専門学校に入学し、農業のノウハウを習得するパターン
それぞれ一長一短があり、それらについては別稿で述べてみたいが、非農家出身で、これまで全く農業と関わりを持たずに生きてきた筆者は、一から農業を学ぶ必要があると感じていたため、2010年春から須坂市にある長野県農業大学校果樹実科へ進学することにした。
(新規就農希望者の受入体制が現在ほど整っていなかった当時のこの判断は間違っていなかったと思うが、2020年現在であれば別の選択をしていたと思う。このことについても別稿で述べる。)

当時は他県のズブの素人が農家になるようなこと(いわゆるIターン)はまだまだ珍しいことだったので、受入側もあらゆることについて手探りではあったが、とても丁寧に対応していただいたと思う。
このことは、実際に筆者が移住する前に、筆者を受け入れるための実質的なプロジェクトチームをわざわざ編成していただいたことからも感じることができた。
長野県庁の組織である農業改良普及センター、移住先の市役所、長野県農業大学校、そして農協からそのプロジェクトチームのメンバーは構成されていた。
夏に移住し、翌年春から農業大学校へ進学することは決まったが、それまでの8ヶ月間のことについては、何も決めていなかった。
栽培技術については、翌年春から学ぶことになっていたが、それまでに農家のいろんな「量」(1日当たりの出荷量や労働時間など)については全く見当もつかず、農業大学校入学までに慣れておくことはできないかと漠然と思っていた。
そのことをプロジェクトチームとのミーティングの中で話すと、秋から冬にかけて農協の農産物集荷場である共撰所と呼ばれる場所で働くことを提案していただき、実際に働くことになった。

夏から秋にかけて、農業は収穫の季節になる。
この時期に収穫された農産物が集まる共撰所で働くことができたのは、とても勉強になった。
農協の共撰所では、農家が収穫した農産物を、品質や大きさで選別し、市場などに出荷する。
筆者はりんごや桃を取り扱う共撰所で働く中で、農家が1日に出荷する量、品質の良し悪しなどを学ぶことになった。

ただ、場所は農協の施設である。
新規就農希望者が手にする本では、農協は、ほぼ間違いなく諸悪の根源として描かれている。
筆者もご多分に漏れず、農協に対しては悪感情しか持っていなかった。
初めてのプロジェクトチームとのミーティングに農協職員がいたときでさえ、少なからず嫌悪感を持った。
しかし、共撰所で働くことで始まった農協との関わりは、長野県を離れる日まで続くことになる。
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

GSJ

Author:GSJ
農業を今一度洗濯いたし申候へようこそ!

最新コメント

月別アーカイブ